MATERIALS

地域の材

地域の材を厳選してつくるKOTTの家

KOTTの家は、日本各地から地域の材を厳選してつくっています。
家を購入すると、一番身近にずっとあるのが柱や壁や床等の建材です。
KOTTの家は、購入してくださるお客様に、
家の材をできる限り詳しく知って頂きたいと考えています。
KOTTの家の材のストーリーを是非ご確認ください。

地域の材でつくる日本の家

地域の材でつくる日本の家

KOTTの家を購入されたお客様と一緒に徳島の杉、淡路島の瓦を見に行きました。

日本の杉 JAPANESE CEDER

日本の神社の境内や参道には、社殿や本堂より古い杉が植えられている。杉の大木は風雪から社を守り、人々の精神を支える支柱としての役割を果たしてきた。成長力の早い杉の木は、戦火や自然災害の度に建て直さなければならかった、日本の家づくりを根幹から支えてきた。

先の大戦で焦土と化し、その復興のために禿げ山となった国土に植林された杉の木は樹齢50年を超えている。これらの杉林は、木材資源であると同時に、国土の保全や地球温暖化の防止、水源のかん養等の多様な公益的機能を発揮している。

一方で、戦後、多くの建材を外材に頼った現在の日本では、大きく育った杉の木が有効に使われず森に放置されている。
今もう一度、日本の森に手を入れ、人工林のほとんどを占める杉の木を有効に利用し、1,000年近く続いてきた日本の森と都市の循環を守ることが求められている。

那賀川の流れに沿って材を作る

徳島県那賀川流域

徳島県の那賀川(なかがわ)流域。古くから杉の産地として栄え、特に杉板製材の乾燥・製材技術が発展してきた地域だ。那賀川流域の杉は、雨量の多い急斜面に育つため、粘り強く、木肌の色が綺麗という特徴がある。

関西と四国に約1,600haの社有林を保有し、国産材の販売を手がける株式会社徳信 森泰章氏に、那賀川上流の伐採現場を案内してもらった。漁業よりも労災の保険が高く、危険を伴う林業。その仕事は早朝から夕方まで、ひとりきりの作業だ。後継者不足に悩まされる一方、林業従事者がよりよい収入を得られるよう、森氏は新しい建材や工法への協力など、さまざまな木材利用の挑戦を続けている。

那賀川すぎ共販協同組合の代表理事も務める中千木材有限会社 千里泰三氏は、那賀川下流で製材所を営んでいる。いい丸太を仕入れ、製材し、しっかりと乾燥させ、材を仕上げる。地道な作業の繰り返しで仕上がった杉の化粧板は、白身と赤身のコントラストが美しく、すがすがしい匂いがする。

同組合で専務理事を勤める湊俊司氏も「徳島杉の特徴であるピンク色を消さない乾燥方法や、その木が持つ品質を活かしきることにもこだわっている」と話す。「板倉工法」の家一軒で使用する板材は、合計で約1,500枚。通常の木造住宅の2〜3倍の量が用いられる。
同組合では常時15万枚、「板倉工法」の家100軒分の木材をストック。天然無垢の杉材を、徳島から安定して供給できる体制には、合板ではなく無垢の板に触れて過ごす人が増えるように、との想いが込められている。

那賀川河口で複雑な木造の軸組から造作材までをプレカットする、マツシマ林工株式会社。同社社長の松島章公氏は、木の良さそのものを発信し、木材製品への需要が高まること、その結果として「木」に関わる人材が増えてくれることを願っている。
国産材の木造住宅が選ばれること。それは私たちをとりまくさまざまな環境サイクルそのものが、未来へとリアルにシフトする瞬間でもあるのだ。

淡路のいぶし瓦 Kawara in Awaji

淡路島の土から生まれる「瓦」

兵庫県南あわじ市

キリリと深い銀色が冴えわたる、「いぶし瓦」。独特の鈍く重厚な艶感は、ふんだんに鉄分を含む淡路島の土だからこそ、表現できる。淡路島で瓦がつくられるようになって、約400年。現在も伝統的な技法によって生産される「いぶし瓦」は、島内のいくつもの工場で分業・協力し合ってつくられていることも、大きな特徴だ。

淡路瓦工業組合 理事長の福原幸蔵氏は、「大きな窯で大量に『いぶし瓦』を生産する会社や鬼瓦を専門につくっている会社、特殊ないぶしの焼き色を出す専門の会社など、島にはさまざまな会社があります。お互いがライバルであり、仲間です。淡路島全体がひとつの瓦工場のようになっているんです」と話す。

KOTTの家の屋根瓦や土間タイルでは「黒いぶし瓦」が使われる。いぶし瓦に一手間加えたものが黒いぶし瓦だ。淡路の土を1,080度まで焼き進め、その後冷まして『燻化』し、炭素膜をつくる。そのまま600度まで来た時に一気に空気を入れて、再び焼く。こうして二度焼き状態にすることで産まれる「黒いぶし瓦」は、美しいだけでなく、高い強度があり傷が付きにくく、塩害地、寒冷地でも使用できるメリットも持つ。

黒いぶしの土間タイルをつくる株式会社ミハラ 社長の嶋本宏信氏は、腕一本で単窯の温度を調整し、瓦製品の中にさまざまな焼色をつくり出す、瓦のマイスターだ。「淡路の瓦会社や建築家の方から、これまでにない瓦素材をつくりたいという相談がくると、ワクワクします」KOTTの土間タイルはすべて、この嶋本氏の手によって焼かれている。

宮崎の白洲壁 Shirasu wall in Miyazaki

太古からの恩恵を活かす

宮崎県都城市

2万5千年前、旧石器時代に起きた巨大な噴火によって出現した、シラス。シラスとは、噴火したマグマが冷やされることで発生する火砕流が堆積したものだ。

超高温で焼成されることによって生まれたシラスは天然の高純度無機質セラミック物質であり、その構造は、常に細かい微粒子の中に無数の穴が開いた、複雑なもの。主成分である珪酸は除湿効果を持ち、またガスの吸着性能が高いアルミナは、ニオイや化学物質の分子を吸着すると言われている。これらシラスの特長は、人工ではつくることができない複雑な構造と成分構成の賜だ。

宮崎県都城市にある高千穂シラス株式会社は、この自然の奇跡とも言うべきシラスの特長を活かした、建物の壁材をつくっている。ボイラーを使わず天日で乾燥する、できるだけ機械ではなく地元の農家さんの手仕事で作業する、といった自然環境と地域経済に配慮した経営も、この会社の大きな特徴だ。

同会社副工場長 瀬戸口勉氏は「地域の材であるシラスを使って、地域の経済が豊かになること。そして、この工場で生産された土壁の家で過ごす人に、日々健康に過ごしてもらいたい。」という想いで、日々シラス壁を製造し続けている。

シラスの層は鹿児島県から宮崎県南部にかけて最大150メートルもの厚みさで積み重なっており、枯渇することがないと言われている。太古からの恵みを受け、地域の自然環境を守りながら、地域の人々にも生産に参加してもらう。KOTTの家に使われるシラス壁は、あらゆる面での持続可能性に向き合いながら、つくられる。シラスが生まれた古代から続く永い歴史の一片が、やさしい乳白色の壁面に宿っている。

熊本の畳 Tatami in Kumamoto

苗から2年以上の「無一物」

熊本県宇城市

藺草(いぐさ)の98%は熊本で生産されていることを、ご存じだろうか。生産の中心は、八代地域。その起源は古く、約500年前の室町時代までさかのぼる。当時この地域を収めていた相良氏の家臣、岩崎主馬忠久が、領内に藺草の栽培を奨励したことがきっかけだったといわれている。

KOTTの家の畳も、熊本生まれ。茣蓙蔵十平 (ござぐらじゅうべい) 日本国内で、畳表の材料となる泰人氏がつくる「無一物」だ。「無一物」は、熊本県宇城市で生産されている藺草(いぐさ)、その中でもシーズン中、一番できが良いものだけを使用した、選りすぐりの畳表だ。通常の畳表とは違い、1年間、藺草を熟成させるため、美しい飴色になる。畑野氏の五世の祖が、宇城市に入植したのは、江戸時代後期。六代目にあたる秦人氏は、先祖の仕事を受け継ぎ、現在、藺草の栽培から収穫、乾燥、織りまでを一環して行っている。

「無一物」の生産が始まるのは、毎年12月。コレだ!という苗を選定し、3月になったらそれらを一次苗として畑に移植。8月に株分けをして二次苗として、専用の田圃へ植えつける。細心の注意が払われながら猛暑を乗り切ったこの苗を、初冬の12月に本田に植え付ける。ここまでで1年。2年目は、激寒の冬にしっかり耐え根を張らせて、新緑の5月から水と肥料と胸いっぱいの愛情を注いでいきます。そしてついに7月に収穫です。

しかし、ここからが本番です。専用の染土で泥染めをして、乾燥させ、さらに1年間じっくり寝かせたもので畳表を織っていきます」と畑野氏は愛情たっぷりに話す。藺草1本1本にかけた魂の畳表。苗から2年以上の歳月を経た本物の畳を五感で確かめて欲しい。

富山の木製窓 Wooden Window in Toyama

未来のスタンダードを目指す

富山県富山市

私たちが家の中で日常、目にしたり、時には開閉のために触れることのある、窓。家を構成する要素の中でも、その存在感は意外と大きい。ほとんどの建物において、窓のサッシはアルミ素材でつくられているのが通常だが、KOTTの家では木のサッシ、「木製窓」を採用した。

木でサッシをつくる。そのメリットは、見た目や触感のぬくもりにとどまらない。室内の断熱性能が高まることで、結露しにくく、冷暖房費を抑えることができる。また遮音性も高く、心地よい住環境づくりおいて、大いに貢献してくれるのだ。

KOTTの家で使われる木製窓は、富山で35年製造を続けてきたキマド(株)のもの。工場には若者もベテランも総じてものづくりに没頭する、職人の空気が流れている。

代表の木原正進氏は「新婚の頃、妻と富山の古い木造住宅に住んでいました。当時は断熱という概念はなく、冬が本当に寒かった。天井に畳を入れたり、壁に断熱材を入れたりしましたが、どうしても窓の辺りが寒くて。その時、断熱性能が高い木製窓を作ろうと思ったのがはじまりです」と話す。

昭和56年に第1号の木製窓を完成、現在に至るまで、世の中にニーズのある木製サッシとは何かを日々探求し、新しい木製窓をつくり続けている木原氏は「今後標準化を進め、価格競争力を高めることで、木製窓の更なる普及を目指したい」と語る。KOTTの家に木製窓のある暮らしを体験した人々によって、これが未来のスタンダードになることも。